Sunday, February 28, 2016

[Singapore] Lee Khoon Choy(リー・クーンチョイ)氏とは

週末ニュースで2/27にLee Khoon Choy(リー・クーンチョイ)氏が92歳で亡くなったと報道されていたのを見た方もいると思います。ちょうどその方の著書を読んだばかりでした。

南洋華人 国を求めて / リー・クーンチョイ


リー・クーンチョイ氏とは与党の人民行動党の議員であった人で、故リー・クワンユー元首相とともに創成期のシンガポールを形作った人です。日本・韓国・インドネシア等8カ国の大使を務め、日本やインドネシアに関する著書も出しています。

昨年91歳で亡くなった故リー・クワンユー元首相が1923年9月生まれ、リー・クンチョイ氏は1924年1月生まれと、ほぼ同時期を生きています。

マレーシアのバターワースで事業家の家に生まれ、兄弟は英語教育を受け英国に忠誠心を持ち、自身は中国語教育を受け自分は中国人だと考える、という家族内でも教育環境により異なったアイデンティティを持つことを経験。日本軍がマレーシア・シンガポールを占領すると日本語教師として生計を立てた。中国が国民党・共産党が主導権争いをするようになると在外華僑はどちらにつくかで分かれた。1957年マラヤ連邦が成立、1963年シンガポールを含むマレーシアが成立、1965年シンガポールが成立。1949年新中国が成立し、友人のなかには新中国の発展に寄与すると志し中国に帰ったものもいた。だが在外華僑ということで文化大革命の際に迫害され、シンガポール成立後リー・クーンチョイ氏が中国を正式訪問した際にその友人から連絡があり助けを求められた。各国の大使も歴任し、本書を通して「国」や自分のアイデンティティについて考えています。

上記のような自分の所属しているものがときどきによって変わるということは、日本で生まれ日本で育った日本人にはなかなか理解しがたいかもしれません。もちろん所属する会社や働く国が変わったりというのはありますが、属する国そのものが変わるということを経験している人は多くないと思います。特にシンガポールで暮らす日本人には興味深い内容だと思います。

彼の死に際して、現首相のリー・シエンロンもフェイスブックで、彼がインドネシア大使として、シンガポール オーチャードのマクドナルドハウスがインドネシア海兵隊員に爆破され死傷者が出た事件で、リー・クーンチョイ氏はリー・クワンユー首相を説得、リー・クワンユーは(シンガポールで死刑執行され、インドネシアでは英雄として扱われていた)その海兵隊員のインドネシアの墓を訪問、インドネシアの伝統衣装バティックを着て献花した。そのことがリー・クワンユーにスハルト大統領との関係を構築させた。と記載しています。

リー・クンチョイ氏の人となりまでは知りませんが、確たる頼れるものがない激動の世の中において生き抜き、国を作った人は尊敬に値しますし、今自分たちはそれに比べれば整った環境のなかで生きておりだからこそ、見習うべき部分もあるのではと思います。

参考資料)
CNA :
Former Senior Minister of State, PAP MP Lee Khoon Choy dies
nangokushimbunnews :
インドネシア海軍艦船の船名、シンガポールで波紋呼ぶ

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